世界一の大規模トランスクリプトーム解析技術をもつスタートアップを支える 10年来の相棒マシンとは
取材/文・坂本希美 | 最終更新日:2022年7月
医薬品の開発現場は、厳しい状況が続いている。低分子医薬品では創薬標的分子が枯渇しつつあり、新薬の開発難易度の増大からコストも増加の一途を辿っている。また新たな医薬品モダリティである細胞医薬品、再生医療等製品では生きた細胞を医薬品の主体とすることから低分子医薬品よりもさらに高コストになるため、製品を医療現場へと十分に届けることができておらず、アンメットメディカルニーズを満たせていないといった課題がある。
これらの解決の鍵は、細胞を個々にあるいは集団として、診断し、制御できるかにあると株式会社ナレッジパレット共同創業者で代表取締役 CTOの福田雅和氏は話す。同社では細胞の全遺伝子発現解析技術を応用し、様々な種類の薬剤や培地で処理した細胞の情報をビッグデータとして取得、その情報をAIにより解析することにより、細胞を詳細に診断し、高度に制御することで「新薬開発の難化」と「再生医療の品質管理・製造の困難」の解決を目指している。福田氏がナレッジパレット創業前から10年に渡って使い続けているのが、ザルトリウス・ジャパン株式会社のIncucyte®システムだ。細胞研究の最前線で愛用する理由と、新薬の創出と細胞医薬品の高品質化を加速させる事業について伺った。
ビッグデータで細胞を制御、医薬品開発を加速
── 医薬品開発における課題解決のために、どのような研究を行っておられるのでしょうか。
株式会社ナレッジパレットは、細胞のビッグデータを世界一「正確に・速く」取得する技術(Quartz-seq2)を用いて、細胞を診断し、制御することによって、創薬における新薬開発の難化と、再生医療における品質管理と製造の困難を解決する2つの事業を進めています。人間の体は約37兆個の細胞でできています。個々の細胞はそれぞれ固有のキャラクターをもっていますが、その特徴を決めているのは、約2から3万種類からなる遺伝子の発現の有無とその量の組合せです。当社は解析対象細胞やその集団から大規模に取得する遺伝子発現プロファイルデータをAIにより解析し、細胞を診断および制御することによって、創薬分野においては候補化合物の薬効や毒性を評価する表現型創薬による医薬品の早期創出を、再生医療分野においては製造された細胞の品質ばらつきと性能および収量の改善による高品質・低コスト化の実現を目指しています。
当社のコア技術であるシングルセルトランスクリプトーム解析技術と大規模バルクトランスクリプトーム解析技術を用いることで、創薬スクリーニングも培養環境スクリーニングも高精度、ハイスループットに行うことができます。競争の激しい分野ですが、当社の技術は世界7カ国25の企業・研究機関が参加した国際プロジェクトにおいて、精度指標 (遺伝子検出性能、マーカー遺伝子同定性能) および総合スコアで世界1位であると外部評価をいただき、その結果がNature Biotechnology 誌にて公表されました。
- 理研プレスリリース|1細胞RNA解析で世界最高成績-国際的な性能比較研究で証明-
(https://www.riken.jp/press/2020/20200407_1/index.html)
表現型創薬スクリーニングは、化合物ライブラリを処理した細胞の遺伝子発現プロファイルをハイスループットに取得し、このビックデータを解析することによって、新薬候補や新規の創薬ターゲットを発見するアプローチです。創薬ターゲットである特定のタンパク質の活性阻害で候補化合物の選抜を行うターゲットベースドスクリーニングと異なり、細胞への効果をダイレクトに評価できるため、薬効が高く、毒性の低い化合物をスクリーニングすることができます。また当社の技術は、従来のトランスクリプトーム解析技術と比較して、10分の1以下の低コストで実施が可能な点も優位であると考えています。
また新しいモダリティとして期待が高まっている再生医療では生きた細胞を原料にするため、製造時の細胞培養工程の際に品質ばらつきが生じやすいという課題があります。良い細胞がわずかしか得られない場合には、製造コストが高くなり、薬価を超えてしまうこともあります。
シングルセルトランスクリプトーム解析技術で良好なロットと不良なロットを比較し、有効性が高い細胞とそのマーカー遺伝子を同定することによって、良好な細胞ロットを判定する細胞品質試験(規格試験、製造工程内検査等)を設計することができます。
さらに、当社は細胞の製造には必須である培地を最適化することで品質ばらつきの少ない細胞医薬品創出に向けた細胞制御の研究を続けています。
細胞の種類が異なれば、最適な培地組成は異なります。培地は数百種類の化合物が適切な濃度で溶かし込まれた液体であるため、最適化を実施するためには試すべき培地組成は膨大になります。しかし、多くの組成の培地を調液し、その試作培地の性能を評価するためには、多大な労力がかかることから、培地組成の探索空間のごく限られた種類の培地しかテストされておらず、培地の最適化はほぼ全ての細胞で成されておりません。また現在、多くの培地にはウシ血清が添加されているため、ウシ由来のばらつきによる培地性能の不安定さも課題となっています。当社は、溶液化学的知見とロボットテクノロジーにより、ウシ血清を使用しない膨大な種類の完全化学合成培地を調液する技術を有しています。また遺伝子発現プロファイルを活用した培地評価系と蓄積したデータベースとAIにより、細胞の種類ごとに最適な培地を効率的に探し出すことができます。培地の最適化を実施することにより、製造時に生じる品質のばらつきを根本的に小さくすることが可能になると考えています。
細胞に負担をかけずに信頼性の高いデータを取得
── 福田様は長年、Incucyte®システムを使っておられますが、なぜ選ばれたのでしょうか。
薬剤スクリーニングや培地最適化をする際の培養評価をはじめ、あらゆる細胞培養のシーンでIncucyte®を使っています。Incucyte®を知ったのは、2012年、前職で幹細胞の培養関連製品の研究開発に従事していた時に見たNature誌に掲載されていた幹細胞生物学に関する論文がきっかけでした。その論文の最初の図に時系列に細胞増殖を計測したデータがあり、1つの機器で取得されたものであることにとても驚きました。それがIncucyte®によるデータだと知り、すぐに導入へ動きました(当時はエッセンバイオ社のIncucyte®ZOOM)。職場は変わりましたが、それからずっと導入し、使い続けています。
── 当時は、革新的な機器だったのでしょうか?
もちろん、似たような機器がないか調査しましたが、いろんな点でIncucyte®が勝っていました。まず、インキュベーターの中に入れた状態で測定ができるので、温度や湿度、炭酸ガス濃度などの物理的な変化を細胞に与えることなく、一定の環境に保っておける点は非常に良かったです。また当時、複数のプレートを同時測定できるスループットの高さを持っていたのは、Incucyte®だけだったと思います。生き物を研究していると、過去の状態のデータを確認し、取得する必要がしばしばありますが、人に依存していると夜間などはデータが取れず、一定間隔でデータを取ることも容易ではないので、確認したいタイミングのデータを取るために実験をやり直さなければならないこともありました。Incucyte®を使い始めてからは、そのような心配からは解放されました。さらに撮像タイミング設定など、複数のディレクションができるところも優位で、研究が効率化できました。
── 10年に渡って使ってこられたのは、操作性など使いやすさなどもあるでしょうか。
確かに製品としての特長に加えて使いやすさや慣れもありますが、総合サポートという「人」の部分も大きいと感じています。細胞という生き物を扱う精密機器は、故障や不調など何かあった時にすぐに対応しなければならないので、アフターフォローやサービスがしっかりしていることは使い続ける大きな理由です。繊細な生き物を扱っているとメーカーさんの支えやコミュニケーションは非常に大切で、それがなければ別のものに乗り換えていたかもしれないと思うほどです。その点でもIncucyte®は他の研究者にもお勧めできます。
── 同業者へのお勧めポイントは他にどんな点があるでしょうか。
384ウェルプレートを使えて、大量のデータを取りつつ、ソフトウェアにより解析も並行して実施可能という特長は、細胞培養に携わる人にはヒットすると思います。今は大規模なデータを解析できる時代ですが、データ取得に人手や時間といったコストをいくらでもかけられるわけではないので、どれくらい機器に任せて、データを効率的に取得できるかを研究者は考えなければなりません。Incucyte®は384ウェルプレートの全ウェルから出力される膨大な細胞情報を人手や時間を大きく割かずに実現してくれます。私が10年前にNature誌の図を見て驚いたように、私たちのデータを見て驚いた研究者には「これはIncucyte®で取りました」と伝えるようになりました。お気に入りの機器になっている方たちもいます。
── これまでのアップデートで反映された要望はありますか。
培養サイズのスケールダウンは常に要望してきたところでした。私が使い始めた当時は、撮像可能なマルチウェルプレートが96ウェルプレートだったのに対し 、現在の384ウェルプレートの撮影が可能になったのは大きな飛躍でしたし、メーカーのご尽力があってこそだったと思います。ホールウェルで見られるようにという要望も強く出してきましたが、実現していただけたことでかなり研究が進んだと思います。今後は、細胞と細胞の間の境界をきっちり切り分けられるソフトウェアの開発をお願いしたいです。明視野画像から細胞数の判定が高精度にできたら嬉しいです。蛍光やレーザーも増やしておられますし、オルガノイドに対するアプリケーションなども増やしておられるので、可能にしていただけると期待しています。
「まじめに、時にクレイジーに」目指す未来
── 現在、どのような研究に注力されていますか?
複数の会社様と共同研究を実施しています。これまで公表させていただいた取り組みは、「創薬基盤の構築研究」、「遺伝子発現と形態画像データの統合研究」、「バイオマーカーの探索研究」、「遺伝子発現と創薬メタデータの統合による候補化合物の評価系構築研究」に関するものです。どれも革新的な共同研究で、やりがいと責任を感じています。
当社の取り組んでいる培養液の最適化スクリーニングは多くの研究者の課題となっています。培養液の組成によって細胞やその遺伝子発現プロファイルが変化することは自明ですが、それを制御することはまだ誰にもできていません。様々な種類の大規模データを取得し、データドリブンで細胞を制御していきたいと思っています。創薬スクリーニングでは、できるだけ体内の状態に近い細胞を用いたいものです。もし細胞が体内にある状態を培養環境で制御し模倣できれば、新薬開発にも大いに役立つと考えています。例えば、がん細胞は共存する様々な細胞と協調して生育しやすいがん微小環境を構築しているので、それを再現できれば、より臨床外挿性の高い化合物スクリーニングが実現できるでしょう。また臓器中にある細胞も、複数種類の細胞が協調することで生育環境を構築し、相互依存で存在しているため、体外へ取り出して単独にしてしまうと本来のキャラクターを失ってしまいます。再生医療では移植細胞に期待するキャラクターを失ってしまっていては使い物になりません。細胞治療では体内を模倣することが必ずしも正解ではないケースもあるとは考えていますが、目的の機能を持つ細胞をより良い状態で、効率よく増やすことが重要です。細胞のキャラクターや用途によって培養液も変えていく必要がありますし、将来的には複数の細胞種を同時に制御する培養環境の構築技術は必須だと考えており、力を入れて研究しています。
── ナレッジパレット社の技術と研究で、医療の未来はどのようになるでしょうか。
当社は現在、創薬と再生医療の2つの領域で事業を行っています。各領域の課題解決に細胞制御技術は直接的に役立つものであると考えています。現在の医療現場において主要に使われている低分子医薬品は単剤によって体内の悪い状態の細胞を良い状態にする細胞制御、再生医療は細胞または細胞から分泌される様々な薬効成分が関わる多剤による細胞制御であると捉えています。さらにこの2つは別物ではなく、単剤の制御で得られた知見が多剤の制御にも活かされ、マージしていくと考えています。細胞制御から広がる数多くの効果の高い新薬開発を通して、必要とされる医療が必要なときに提供される未来に貢献していきます。
── ナレッジパレット社では「まじめに、時にクレイジーに」と掲げておられますが、クレイジーとは?
創業当時から大切にしている言葉で、研究に携わっておられる方には特に刺さっているようです。ひとが笑顔でいるためには、自分自身と大切な人たちが健康でいることは、必要条件だと思っています。しかし現代においても、満たされていない医療ニーズは多く残されていて、新しい薬や新しい治療モダリティの実用化が待たれています。当社はこれらの実用化に貢献し、世界中に、大切な人の大切な笑顔を増やし、人々が笑顔でいる一助となりたいと願っています。ヘルスケアという人間にとって尊いものを事業領域にしている以上、「まじめに」取り組むのは当然で、最低限もっているべき姿勢だと思っています。また私たちのような小さな企業がヘルスケアに貢献したいと思うのであれば、普通にやっていてはダメだと思っています。自分たちの貢献によって世界中に笑顔を増やすことを本気で目指すのであれば、私たちがその世界をリアルに思い描き、ワクワクし、時に「クレイジーに」みえるほどに没頭すること、その実現のために大まじめに取り組むことが大切であると思っています。